読書の夏!!!!!暑すぎるため,クーラーの効いた部屋で部屋に篭って本を読む日々。日本で40°超えの地域が続出しているのが恐ろしいが,一体20年後の地球はどうなっているんだろう。「80まで生きると仮定したらまだ自分は生きてるから夏って怖い」と考えるのは夏の風物詩である。地球がアチアチになりすぎて人間が滅んだ後の世界に思いを馳せ「いかに良い小説も論文も文明がなくなったら意味を成さないんだ…」と切ない気持ちになるのもまた夏の風物詩。そんなことを考えると,ではせめて自分は好きに生きようという自暴自棄でありながら希望に満ちた気持ちになるが,日常に戻ると「社会の中では好きに生きれないよ〜」という気持ちに負けてしまうところまでがセット。しょんぼり。やはり地に足をつけて明日の飯のために地道に働くのが健全かもしれない。
久方ぶりに読書習慣が戻ってきたので8月も小説の感想を残すことにした。昔は人の暗い部分を真剣かつ抽象的に論ずるような本をよく読んでいた気がするが,院生になったあたりから趣味で抽象的議論に向き合う体力がなくなってきた(そんな趣味があるかい)。近頃は「人間関係って面倒くさいね」という身近な話を秀逸に書いた小説に共感することで,ストレス発散とか不安を解消する方向にシフトチェンジしてきたかもしれない。これもある意味,地に足がついてきた証拠ということにしておく。
以下の作品のネタバレを含みます。
【息が止まるほど/唯川恵】
恋愛関係で苦しみを抱えている女性たちが主人公の短編集。恋愛小説といえばかつては「どうせデロデロに甘いことが書いてあるんだろー!!!!」というキモ・オタク全開の逆張りで絶対読まないようにする時代もあったのだが(逆にコンプレックスが強過ぎて怖い),本作は実は真逆と言っても良い気がする。登場人物は不倫現場を見られたOL,より好みをしていたら40手前になってしまった美人,結婚式当日に夫に逃げられた新婦など…。言葉にしてしまうとありきたりな話に見えるが,実はそれぞれサスペンス風味であったり,予想しなかったどんでん返しがあったりと,様々なしかけがあって面白い。もちろん女性たちの気持ちの描写も秀逸だ。タイトルからして甘々でほろ苦い大人の恋愛小説っぽいが良い意味で期待を裏切られた。寿退社が当たり前とされる時代背景などに若干の戸惑いはあるものの,おすすめ。
この中の一作『雨に惑う』の地味で冴えないと言われる主人公・ヨリコがけっこう好きであると同時にけっこう嫌いだ。内容は,満員電車の中でヨリコが若い女性に濡れた傘を押し付けられたことを注意したら,逆ギレされたために腹が立って嫌がらせをしてしまうという筋書きである。これだけ見たらなんて最悪な主人公だと感じるが,正義感故の憤りであったことが,会社内で自分だけ理不尽に注意されることへの怒りがあったことなどからも読み取れる。彼女の怒りには「社会の理不尽さ・厚顔無恥な人間は理不尽を被らないのは許さない」という正義感が常に潜む。確かに自分も,濡れた傘が当たってしまったら不快だし,傘を地面と水平に持ってぶんぶん振りながら歩く人とか,隣に人がいるのに盛大に足を組んで座る人とかがいたら説教したくなった経験に覚えがある(怖いから説教はしないけど,不快な顔くらいはたぶんしている)。
この短編は,自意識過剰度マックスな中学生のときに読んでたら首もげるくらい頷いてただろう。かつての自分は,公共空間で他人を顧みない行動をする人がいたら,その不利益を被るのは自分であることへの怒りばかりに支配されていた気がする。そんな怒るなら自分から嫌だと言えよ,と片付けるのは簡単だが,自分の容姿の醜さが枷になって言えなかった。そんなあまりにも唐突な,という感じだが,例えば学校。イケてる人たちが支配する教室で,冴えない自分が目立つ発言をしてしまったら,言ってる内容が正しかったとしても集団から外されてしまうのではないかという怖さが常にあった。そしてなぜ同じ人間なのにそんなことを気にしないといけないのだ,という怒りもあった。そういうことが積み重なっていつの間にか美しくて無邪気な人々に腹立たしさと嫉妬を感じるようになったのかもしれない。たぶんこれは単なる僻みとして笑われてしまうものだけれど,じゃあなぜ自分だけが生まれたときから人を僻んで生きることを決められてしまったのだろう?
ひとりで生きてゆくことは、当たり前のように身についていた。美しくもなく、可愛げもない自分には、そうすることが生まれる前から決まっているように思えた。
「よりによっての、よりこ」
これが小さい頃のあだなである。いつも仏頂面で不機嫌そうな顔つきの依子は、席替えでも、フォークダンスでも、組む相手には必ず言われた。それが身に染みている。
このへんを読むとめちゃくちゃ苦しくなる。こんなことを言われて人を恨まず生きていけるだろうか?容姿によって人からの扱いが変わり,自分がどう振る舞うかを自然に決められていく。大半の人間はどう生きるかという方向性を,見た目によって決められてしまっているんじゃないだろうか。そう感じたときは他人に何を言われようと,性格とか行動をなんとか自分で変えていくしかないのだけれど,何歳になっても見た目でとやかく言われ,勝手に評価されて型にはめられるのはあまりにも苦しい。他人の感じ方は変えることができない。ヨリコは確かに人を僻みすぎているし,自意識過剰な部分や人のせいにしすぎる部分がおおいにある。まして見知らぬ女性へ嫌がらせなんてあってはいけないことだ。だけど彼女を責めることは私にはできない。これはいつかの自分だし,今も自分が飼っている一面で,それを否定するのは社会にある理不尽を認めることだと思うから。激重感想になってしまったが,自分がいつも感じている理不尽とやるせなさを,的確に指摘してくれる作品のうちのひとつだった。
【とける、とろける/唯川恵】
こちらも短編小説で,女性たちが主人公である。作中のどの女性も,どこか人生で満たされない部分を良くない満たし方でどうにかしてる感じの内容。そんなこと書いちゃって大丈夫かというエロシーンの連発である。唯川氏の著作は,まどマギもびっくりのタイトル・表紙詐欺が多いのかもしれない(もちろん良い意味で)。これを世に送り出してくれた作者の勇気がすごい。何がって心理描写がすごい。わかる人が読めば「その場面でそんなこと思ってるのを世間に大公開してしまっていいのか!おしまいだ!」という恥ずかしさがあるし,わからなければ「え〜そこでそんなこと思ってるの,キャー」と乙女チックになるし(?)。エロ漫画だとそのへんを描くことが主題ではない気がするので,そことコントラストがはっきり出ている本作大変良いです。全体を通して『息が止まるほど』よりも言葉が甘めでありながら,少女漫画的キュン要素はない。キュンの代わりに毒が仕込まれている。
基本的には登場人物は悪いことばっかりしているので褒められたものではないのだけれど,かっこいいなあと思ってしまったのが『スイッチ』の千寿。地味で男っ気もないことから,会社の同僚から散々マウントをとりやすい相手とされているのだが,彼女は気にしてすらいないあたり,勝手に優越感を抱いている同僚が気の毒ですらある。千寿は1人で生活する幸せで満ち足りている上に,実はパートナーもいる。まあ相手は既婚者なんだけど,自身の生活には干渉してこないからこそ,甘い部分だけ享受できて幸せだという強かさである。しかもパートナーが脳出血で倒れたときですら,
私は私であり続ける。
そのことに,千寿は深く安堵する。
という感じなのだ。「自分の価値観を強く持たないと!」という強迫めいた焦りでもなければ,完全な無関心でもない。ただ,自分が好きなことは自分で決める・誰かに干渉されない生活に幸福を感じる,そういう自然な生き方である。同じ冴えない女性である『息が止まるほど』のヨリコが,自身が孤独であることに対して劣等感を持っていたとするならば,彼女は1人であることを善とするか悪とするかを判断する世界で生きてすらいない,といったところだろうか。この小説で彼女1人が異質で,現代のジェンダーフリーを目指す価値観ですら追いつかない境地がここにある気がする。2008年に書かれたというのだから驚きだ。おすすめなので1回読んでみてください。
【二周目の恋】
いろんな作家のオムニバス集。少なくとも文庫版は2024年に出版されていたらしく,シリーズもの以外で最新の小説を読むことがほぼない身としては,身に覚えがある単語が多く出てきてめちゃくちゃ新鮮だった。zoom,『同志少女よ、敵を撃て』,新宿の映画館,ロフトなどなど。やっぱり同じ時代に生きてる感出てくると,一気に小説が自分の世界と近くなったように感じて素敵。
【最悪よりは平凡/島本理生】
妖艶で美人な女性に育つように,という意味で「魔美」と名付けられた女性が主人公。親がそんな名前つけるなんてまあまあヤバくて,開幕早々母親がインコを間違えて掃除機で吸い込んでしまったという話から始まる。「顔は和田で首から下が魔美」と男性から言われたり,家具の組み立てに来た人からキスされそうになったりと,聞いているだけで泣きたくなるような話が続く。上に挙げた話は実際にあったら(というかいくつもあると思う)注意喚起的な意味も含めてTwitterでバズってそうな話題である。島本氏の文体の特徴なのか,こういう傷つくようなことをけっこう淡々と書くというところに悲壮感を与えない読みやすさがある。『ナラタージュ』もそうだったが,性暴力への抵抗というテーマは意図的に含ませているように感じる。あと,魔美が二番手の女にしかなれないことからかけっこう簡単に関係を持ってしまうこととかも,性に奔放なのではなく心に積み重なった傷により人との関係性の作り方がわからなくなってしまった感がある。それはもう自傷行為と変わらないんじゃないかな。これ書いてて,男性と仲良くなってもすぐ変な感じになったり,触られたりして怖い,性別なんてなくなったら良いと言っていた友人を思い出した。友達としてもう接することができないのが辛いと言ってたことも。確かにそんなことがしょっちゅうだったら生きてるだけでものすごく疲れるだろう。相手の好意に対してどう返したら安全な反応が返ってくるのかとか,向けられた感情がセンシティブなだけに気を遣うだろうし。実際,好意を向けられても相手の感情が恋愛なんだかなんなんだか区別つかなかったり,そのときは精神が削られていたことに気づかなかったりする。嫌だと思ったことをなかったことにしたくて、自身の認識を変な方に歪めるとかも。例えば触られたことが嫌でも怖くて抵抗できなかったこと自体、誰かに知られたら自分が惨めになる気がするから言わない、相手をかばってしまうなど、他者から見ると歪んで見えることも多い気がする。
最後はハッピーというか,穏やかな感じで終わるけどなんとなく心配でもやのかかった感じが残った。岩井さんに魔美が救われてほしいけど,どうなるだろう。
【深夜のスパチュラ/綿矢りさ】
女子大生がバレンタインデー前日にお菓子作りの材料を買って作って好きな男の子に渡す話。本当にたったそれだけなんだけど,思ったことをそのまま書き出す機械があったらこんな感じなのだろうか,と思わせるような心情の描き方が楽しい。
チョコあげて 軽く様子見 バレンタイン でお茶を濁すつもりだったけど
としれっと川柳を挟んでくる表現は,SNSなんかだとありそうだけど小説じゃあんまり見ない気がする。『蹴りたい背中』の頃も瑞々しい文章だったと思うが,しばらく読んでいなかったうちに綿矢りさだとはっきりわかる文章として醸成されている感がますます出てきたなと思った。この話,オチがけっこう好きだ。チョコあげた男の子の方が主人公より弱そう感がと良い。綿矢氏,女性がいつも強くて良いよね。
【フェイクファー/波木銅】
大学時代の着ぐるみ同好会のメンバーが亡くなったことをきっかけに,過去のサークルメンバーと会って昔を回想するような内容。メンバー同士が「もずく」,「キップ」などあだ名で呼び合うところとか,希死念慮とネットスラングにまみれた自称「弱者男性」のTwitterで有名な先輩とか,いかにも今っぽいサブカル感が面白い。大学時代のことを話しているところから,Twitterの世界と一歩距離を置いている表現になっていると感じた。あまりにネットスラングが自分と距離が近すぎて,内容が難しかったかも。主人公の性格も掴みきれなかったけど,かわいいものが好きで,擬態しているのが落ち着くっていうところがいかにも現代人っぽい。それと,冒頭を少し読んだ時点では語り手が男性か女性かがわからなかった。性別をあえてニュートラルに書いているのだろうか。表題と違って恋愛要素は薄かったけれど,かわいい!と思う気持ちや裁縫に恋しているみたいな,サブカルのごたっとしたイメージからちょっと離れた純粋さや素直さを感じた。着ぐるみ界隈は狭いから言動に気をつけなきゃとか,自由になりきれない閉塞感みたいなものも少しあったけど。
【カーマンライン/一穂ミチ】
ハーフの双子の甘酸っぱい話。個人的にキュンポイント高め。内容は911とか2本だったら震災とかを扱っている上,バイリンガルの中でも2つの言語とも十分に自信のものとして習得した感のない「ダブル・リミテッド」も描いており,自身のルーツという点での辛さも描かれている。主人公は双子だけれど,アメリカ人の父親を亡くしてアサミは日本で,ケントはアメリカで育っているためにお互いほとんど面識がない。大学2年生のときにアサミのところに2ヶ月間ケントが来ることになり,最初はギクシャクしているけれど,だんだん両思いみたいな雰囲気になっていくところで胸がギュッとしてしまう。血のつながっている祖父母の冷たさ,父親が亡くなってしまったこと,5歳で急に日本で生きていかなきゃいけなくなったアサミの寂しさ…孤独に寄り添えるのは似た境遇のケントしかいないから,まあ恋愛感情らしきものも芽生えるよねと。
萌えポイントはめちゃくちゃに散りばめられていて,例えば同じ大学の男にアサミが絡まれたときに相手を追い払うとか,「好きでもない男と寝るなんて,自分を大事にしなきゃだめだ」と怒るとか,絵葉書に"I miss U"と書いて送ってくるとか。これでもか!というほどキュンとすることが散りばめられている。これ,アメリカ人だからストレートな表現がここまで萌えるのかもしれない。同じことを日本人がやってもちょっと違うような気もする。
ケントの好きな本をアサミにプレゼントして,全く日本語のわからないケントは同じ本の日本語版をどうにか読むことでアサミの苦しさを背負うと誓うシーンがとても良い。しかも内容が弟と恋に落ちる少女を描いたものという。日本語版を買いに行くシーンで,英語版も新しいのを買うか提案したときに「ケントのが良い」と言った勝気なアサミの健気さで心を打たれてしまった。
語り手はアサミだから素直に心情が描かれているはずだが,ケントへの気持ちははっきり書かれない。でも描写とか言動からなんとなく好きなのかなとわかるし(海遊館で指を絡めるのとか),実際にカウンセラーの人から血の繋がりがあるのにまさか違うよね?的な諌め方をされてキレちゃうとか,苦しさが伝わってくる。数年後にケントは別の人と結婚する。婚約者と彼に会いに行く飛行機の中のシーンで終わるんだけど,まあさっぱりしていて爽やかで良いものだ。理性がだめだというのと,好きという気持ちの間で引き裂かれそうになっても,とりあえず保留にしちゃうのも良いのかもね的な教訓(教訓か?)。最後でまだほんの少しだけケントへの気持ちが自分でもわからない状態で残っているような描写が少し切ない。冒頭も飛行機シーンで始まるので,たまに引っ張り出しては眺める宝物的な思い出に,きっとこれからなっていくんだろうな。これ少女漫画みたいな甘酸っぱさじゃん!
【道具屋筋の旅立ち/遠田潤子】
良い意味で全体から狂気しか感じない!気の弱い主人公の優美が,自分のトラウマを克服する話だ。時代は平成2年。大学生の年下彼氏と付き合うOLの優美は全然自分に自信がなくて,158cmで40kgしかないのに太ることを恐れている。一方で彼氏は誠は優美の体型とか,口紅とか服装とかにとにかくうるさくてモラハラまっしぐら。冒頭から「男は男らしく,女は女らしく」と言うところとか,優美が頑張って選んだ口紅を「似合ってない」と言い放つとか,とにかく不安になる要素しかない。それでも「かわいい」と言われると弱い優美はまあわからなくはない。しかしある日誠に昔自分が太っていた頃の写真を見られ,罵倒されてしまう。マジでなんでこの男こんなに最悪なんだ。優美は子供の頃からひたすら食べないと自分は親から捨てられると思い続けてきた故に,食べることに対する恐怖がある。優美がこうなったのも,妊娠させられて不本意な結婚をした母親が,父親に異常量を食べさせてじわじわ殺すということに優美が付き合わされたからだ(そして父は本当に死んだ)。家族の食事のシーンは壮絶で,一度食事をした後,丸々太った父親にもう一度食事をさせるためとんでもない量が出てくる。「残したらあかんよ」という母の言葉で無理やり食べる優美視点の食卓は,グラタン,ポテトサラダ,ケーキですら地獄の光景だ。二郎系で頼みすぎたときの絶望を思い出してしまい,こっちまで胸焼けしてくる。
優美も優美の母も,ある意味誰かに自分の体を奪われたようなものだ。母は夫を消すことで,モデルとしての自身の人生を取り戻した。優美は自分の意思で大食い大会に出て大食いをすることで,自分の食欲は自分で決めていいことに気づく。しかし最後までとんでもなくて,男は男らしくというスタンスだった誠が実は女装に憧れていたことを優美が知ってしまい,それを本人に直接伝えるのだ。好きな格好をして良いと。秘密のつもりだった誠,しかも自分より下の存在と勝手に見ていた優美からこんなことを言われたら青ざめるだろう。この立場の逆転が気持ちよくてたまらない。でも単にすかっとするだけではなくて,誠に「化粧や服のことは教えてあげるし,力になれる」と言った優美の優しさがラストの爽快感に必要なのだ。特にこの時代に育った人たちは,男女はこうあるべきみたいな考え方がけっこう強いと感じるからこそ,窮屈さを感じている人たちにとっては救いの言葉であるかもしれない。我々はもっと自由に生きていい!!!!!
【無事に、行きなさい/桜木志乃】
アイヌのデザイナーであるミワとシェフの話。ミワが淡白というか、デザイナーとしてかなり優れているので、シェフの男が付き合ってるのにどこか距離を感じるみたいな話かと思われる。悲しいが自身の読解力が足りず内容がよくわからなかった…。2人は恋人どうしだと思うのだが、恋愛の浮いた感じは一切感じられず、大人の恋愛ってこんな感じなのか〜と思うなど(?)。途中で出てくるバイトの大学院生の女性がミステリアスすぎたな。彼女がキーパーソンだと思うけど、彼女の存在によって、ミワがどういう人なのかとかあまりわからずだった。文体は静かで素敵な感じ。
【海鳴り遠くに/窪美澄】
夫を亡くした未亡人女性、海辺の別荘地で静かに暮らしていたものの、近くに別荘に滞在しにきた若い画家の女性と恋に落ちてしまい、春までの短い時間を共に過ごす。亡くした夫を思い出しながら、自分は女性が恋愛対象である事実を受け入れていくこと、近所の目を気にして素直に女性の恋人と一緒にいられない様子などが描かれる。物語終盤で、画家が怒って半分喧嘩別れのように別荘地から出て行ってそのまま音信不通になってしまうが、結局は主人公の方が耐えられずに人目も憚らず新宿で彼女を探し回る、という変化が好きだ。女性同士の恋愛に素直になりきれない主人公と、そこに苛立ちや悲しみを感じる画家のすれ違いがありながらも、好きという気持ちをとった主人公が画家に受け入れられるという流れが良き。あと夫がいた(いる)人が恋人を作ったとき、けっこうな打率で「私とのことは遊びなんでしょ!」と恋人に怒られシーンが出てくる。これは決して「この人とはちょっと楽しいことできたらまあそれでいっかハハハ」的な心情ではなく、「相手のことは好きなんだけど今の生活をすぐ変えるのはきちぃ〜〜〜」という、どっちつかずな状態で上手い立ち位置にいようという魂胆のことを遊びと責められているのだなと気づいた。モテないオタクの感想や。
田舎に住んでる人妻が、夫と子供不在の間に素敵なフォトグラファーと4日間だけ一緒に過ごしてしまいましたなお話。そこだけ聞くとやべ〜んだけど、小説だとめちゃロマンティックに書かれているんだよね。お互い4日間のことは死ぬまで胸に秘めているし会うこともないんだけど、双方が運命の相手だったということを確信して何十年も生きてた様子が、フランチェスカが子供に宛てた手紙から発覚する。自分が子供の立場だったら耐えられねえ…。妻が他の男に心奪われた状態なのを知りもしないで亡くなった旦那さんよ…という気持ちにまずなってしまうんだが、知ったら知ったで地獄すぎるので良かったのかもしれない(?)。惹かれあってる様子は確かにロマンチックではあるんだが、それは人生で4日間しか会わなかったから燃え上がっただけでは?感が若干拭えないかなあ。このへんって文化の違いで感じ方が違うんだろうか。アメリカの文化とか宗教的な背景を知ってたらもっと違う感想を抱くのかもしれん。
【ツルネ/綾野ことこ】
京アニでやってたアニメの原作あったんだ〜と思って読んでみた。弓道男子たちが5人で弓道の大会に挑むって話なので、Free!と似たアツい感じなのかと思ったけどちょっと違うんですよね。まず主人公の湊が、自分の意思よりも早いタイミングで矢を放ってしまう「早気」という症状が出ているよろしくない状態なところから話が始まっている。湊自身は早気のせいで大会で勝てなかったと思っているところがあり、好きだった弓道を辞めるつもりだったんだけど、とある事故から湊に後ろめたさを感じている幼馴染の静弥が何度も湊を弓道に戻そうとする。その異様なまでの執着がすごくて、普通そんな嫌がる人を戻そうとしないだろう…と思ってしまう。結果的に湊は戻ってくるし、一見個人競技っぽい弓道はチームで行うものだ、誰かに背中を預けていいということに気づくまでになるというのが素敵ポイント。まだアニメ1期と原作1巻しか読んでないので続きが楽しみ。次はもうちょっと個々のキャラが考えてることがわかればもっと物語に入り込めそうかなあ。あと原作から弓道の説明のガチっぷりがすごいので経験者の人は読んだら楽しめそう。
【僕は勉強ができない/山田詠美】
これ自分が高校生のときから気になってたんだけど、自身も勉強ができない子だったのでそれを肯定されてダメな方向に引きずられそうで、全く読めなかったんですよね。読んでからその判断が正しかったかもしれんと思った。高校生の主人公くん確かに勉強はできないんだけど、「良い大学に行くべき」とか「自分が男性から好かれる仕草をわかってやってる女の子」とかに対して容赦なく切り込む切れ味の鋭さがすごい。もし勉強できないだけの自分が思春期に読んでたら、人を斜に構えて見ることしかできなくなりそう(今もそうやろがいという気はする)。「お前は当たり前とされてることをちゃんと考えたことあるんか?」みたいなことをずっと突きつけられ続けるので精神に余裕があるときに読むのがおすすめ。学歴とか社会的地位にこだわりのある人とか私みたいにぼやっと生きてる感じの人が読んだら特にハッとするかもしれん。
近いうちに死ぬことがふさわしいか,実際に対象に接触して判断する仕事を行なっている死神を描いた短編集。話どうしに緩い繋がりがある短編小説はハズレがないことがわかってきた。死神の話なんて聞いたらホラーかと思うがそういうわけではなかった。対象の人の死を可とするか見送りとするかを判断する存在ではあるものの,そのシステムはビジネスのように回っているという設定が面白い。死神の会社(?)にもしっかり情報部があり,実際に対象を見にいく部署もある。あくまで語り口は淡々としているが,クールなだけではなく「事態を甘く見る」という言葉を「味がするのか」と問うなど,ちょっとズレた受け答えをしているのがお茶目で,読者側からもこの世界が新鮮であるかのように映るという構造が作られているのが見事だ。私が一番好きなのは最後の短編で,これまでの話が回収される気持ちよさと晴天描写の爽やかさ,作中では実は何十年も経っていたことなどが一気に押し寄せるので「これはやられたな」と良い意味で思わされる。「勘違いによるすれ違いなんて人間の得意とするところじゃないか」という言葉も,素直に「ああそうだな」と思わされる。日々必死に生きていると,人との些細なすれ違いとかイライラといった些細な感情ばかりに足元を掬われてしまう。自分が死ぬだなんて,生きててそれほど意識することじゃないから退屈で平和で幸せな時間が延々と続くと勘違いしてしまうのだ。だから死を扱う死神からしたら人間の行動とは理解できないのだろう。たまには,人生の時間は誰にとっても有限であるということを思い出したい。ところでこの死神たちって,死という概念がないから永遠に働き続けるのかね。
弟のために殺人を犯してしまった兄,兄が殺人者であることで冷飯を食ってきた弟。弟想いゆえに兄は手紙を送り続けるがそれが常に弟の人生を邪魔するため,兄とは縁を切ってしまうのだが,その影では弟をずっと支えている女性がいて…というようなあらすじ。実は6月か7月に読んでいたが書きそびれてしまったのでここに追記(雑か)。職場の上司に「良い話だよ〜」と勧められて読んだが,無限の後味の悪さが残ってしまった。いや,話自体は良いしラストシーンも美しいとすら感じるのだ。だけど自分のこととして考えてしまうが故に苦〜〜〜い感じの後味が残る。読後,もはや誰が良くて誰が悪いかわからなくなってしまったのは(まず兄は事件を起こした時点で悪いというのは抜きにして),登場人物に対する善悪のジャッジが自分たちにもそのまま降りかかってしまうことで苦しくなるからだろう。例えば,殺人者の身内に対しては明らかな差別をしなくても,距離を置くという行為を良しとするか否か。作中では兄が刑務所に入った後,弟は飲食店で働き始めるが,兄のことがバレて店主から遠回しに煙たがられる。店主側からしたら店の評判もあり,当然そこには自分の生活もあるわけで全く責めることができないし,なんなら自分だって店主と同じ反応をすると思う。でもそれが弟の目から語られると苦しいわけだ。同じような話が延々と続く。辛い。何って自分も絶対に彼を苦しめる側になると思うからだ(もちろん弟側の人間にならない保証だってない,縁起でもないけれど)。そういうのがとにかく形を変えて最後まで続く。社長が言った「犯罪者の家族は差別されて当たり前なのだ,それも含めて贖罪なのだ」という発言も,私は最後までどうやって飲み込もうか迷った。あんまり本題に触れたくないんだけど,きっと触れないということが誰かを傷つけるんだろうな,という後味の悪さがずっと続く。題材が重すぎる。ミステリー作家と思いきやこういう話もしっかり書き切ってしまうのが東野圭吾氏だなあ,という締まらない感想で締めておく。ちなみに東野氏の作品だったら『さまよう刃』が一番好きです。こちらもテーマが重いけど。